ぜりーとゼラチン工場

限界大学生の思考掃き溜め

とりあえず酒を買って帰るのをやめよう

 絶叫絶叫絶叫~~~~~~~~~!!!!!!!!!!突然のTwitter凍結!!!!!値上がりしたサークル合宿費!!!!!予算2万オーバーの買い物!!!!!!!推しユニライブツアー決定!!!!!!!!!キャパ3万5000のライブですら外れる人がいたのに追加公演がキャパ3000のzeppって、何~~~~!?

 お久しぶりです。Twitter垢が凍結してブログへのモチベを失っていたぜりーです。近況は上記の通り、死んだ目で働き絶叫しながらお金を飛ばす毎日……。バイトはフリーシフトで月いくら稼ぐかも自分次第なんだけども、働きすぎるとそのストレスで散財してしまうから労働時間と出費のバランスの最適解をまだ見つけられずにいる。でも頑張って自分で働いたお金を推しに突っ込む瞬間が一番生を実感する。対義語は「親の金で恋人に高価なプレゼント買う奴が一番ダセー」です。

 前回のブログ以降にあったことだと、推しユニ活動再開、本当に、おめでとう、そして、ありがとう!!!!半分ぽっかり穴が空いてしまっていた人生がまた100%に戻ってきた感覚がある。実は何だかんだでユニットの有観客ライブは行ったことがなかったから本当に、本当にうれしくて……AtRはいつまでも私の青春……片方のワンマンにもう片方がゲストで出てきた数曲だけでも気が狂いそうだったのに2~3時間ユニットだけを浴び続けるって、私、どうなっちゃうの~!? あと推し活だと、推しがゲストで出る他歌い手のライブが直前でもまだチケットが余ってると聞いて突発で行ったり。当日券の天井席買うより余らせてるオタクから引き取った方が席良いし手数料浮くしと思って邪な気持ちでTwitterで譲渡募集したら手数料浮くどころかファンクラブ専用紙チケの送料まで割り勘要求されて自分で当日券取るより550円高くついた上に、ファンクラブ席だから四方をガチオタクに囲まれてとても肩身の狭い思いをしたのはある意味勉強になったね(?)それはともかく他担の私でもうるっとしてしまうくらい良いライブだったな(周りのオタクはみんなズビズビ泣いていたが)、マ、俺の推しが一番だけどな!!!!!!私は元々他担拒否のきらいがあって、推しのライブに他活動者がゲストで出ると聞いただけでモヤることもあったんだけど、「他活動者のことも知ってほしい」とゲストと刺激し合う推しのことを見て他担拒否なんて言ってごめんね……の気持ちになり他活動者メインのライブに足を運べるまでに成長した。これも推しがくれた経験。本当に推しは色々な経験をくれるし、この”推しからしか得られない経験”が私は推し活の醍醐味だと思う。たとえそれがスーパーをハシゴしてはんぺんを探し回る経験だとしても。

 それに加えて、1月末には実家から荷物が届いた。その中には成人祝い兼誕生日プレゼントと、『20歳の自分への手紙』が同封されていた。なんでも中学3年生のときに学校で書かされた(あまり記憶がない)ものが成人式で返却されたらしく、情けなくも成人式に行けなかった社不の私のそれを親同士の職場が同じ元クラスメイトが代わりに持って帰ってくれたそうで……本当に情けない……(ありがとうございます)。いやその子は絶対このブログのこと知らないでしょうけど。せっかくなのでこの『20歳の自分への手紙』を原文そのままインターネットの大海に晒し上げようと思ったけど、この記事を読んだ人間が共感性羞恥で死んだら可哀想なのでやめましょう。今更過ぎないか?

 というわけで内容だけ簡潔にまとめる。①高校やその先で友達はできたか、人見知りは克服できたか ②第一志望の高校(学科)には合格したか、自分の夢ややりたいことに対して努力できているか ③中学校は色々あったけどやっぱり楽しかった、高校が離れてしまった仲間とも成人式で再会したのではないですか

 20歳の自分より。①は自分でもビックリするほど交友関係に恵まれています。人見知りも、ぼっちでディズニーに行って通りすがりの家族連れに「あ、写真撮りましょうか~?」って話しかける不審者になるくらいには克服しました。大学では1年生の一番最初の一日授業の日に近くにいた女の子たちにお昼一緒にどうですかって声を掛けて、その子たちが今のいつメンってやつになっています。あとはライブの開演待ち時間で隣の初対面オタクとダラダラ喋ったりとか。中学校までは周りの環境に対して自分が浮いていると感じることが多かったけれども、高校大学と進むにつれて必然的に自分と似通った性格・境遇の人間が集まってくるので、高校以降は自分と似た者同士の愛すべき人間に囲まれて居心地良く過ごすことができていますよ。②は結果から言うと第一志望の高校(学科)にはなんとか合格しました。良かったね。今思い返しても中3の頃が一番勉強してたんじゃないかと思うわ……大学受験戦争はちょっとサボってしまったけど何だかんだで自分の身の丈に合った位置に落ち着いたのではないかと思っています。良い大学に進学して成人式で見返してやろうって意気込んでた中学時代の私!ごめん!でも今の大学大好きだし、この大学を選んだのはネームバリューや偏差値より自分のやりたいことを優先した結果です。実際自分のやりたいことに関しては現在進行形で全力疾走中なのでね!田舎で指咥えて画面を見つめてた私へ!20歳の私は推しにいっぱい会ってるよ!推しのこと好きになってくれて、ありがとう!最後に③、これは20歳の私の、敗北……中3の私の方が、人格者です…… なんかこの手紙、「成人式で返却するって言われても成人式行かないんだけどな~どうするんだろうな~」ってぼんやり思いながら書いた記憶があるんだけど、社交辞令的なアレで一応未来の自分に一縷の希望をかけて書いてたのかな。まあ、良い思い出も良くない思い出も全てひっくるめて自分の糧になっているわけだから、それを否定せず結果オーライだと捉えるのは良いことです。でもごめん!成人式行くのは無理だった―!怖いもーん!そんな中でも連絡をくれた友人は数は少なくとも確実にいたので、ちゃんと中3の私の言うことを聞いて大切にしたいと思います。

 いじめられっ子はいじめられたことをずっと覚えているのに対していじめっ子はいじめたことを何一つ覚えていない、とよく言われるが、本当にそうだろうか?と考える。最近、小中学生の頃に人を傷つけた記憶が突然フラッシュバックして、お前はまだ大人になれない、極悪人だと私を呪縛する。心ない言葉をぶつけたり、一歩間違えば大怪我に繋がりかねないいたずらをしてしまったり。誰しもが持っている、ありふれた経験かもしれない。相手はもう忘れているか大して気にしていないかもしれない。そうだったらいいなと思うし、今更悔やんでも過去は変えられないから、さっさと振り切って忘れてしまった方が心は軽くなるはずだ。でも何となく、忘れてはいけない気がする。眠れない夜にこれらを思い出してはどうしようもない自己嫌悪に陥る。善悪の判断のつかない子ども時代の失敗、と言えばそれまでで、20歳になった今でも引きずるのは少々繊細過ぎるのかもしれない。自分の非や情けなさから目を逸らして、胸を張って歩けるようになったら一人前の”大人”になれるだろうか。20、というのは、本当にただの数字でしかないと痛感する。私は下戸で、3%のチューハイ1缶を飲み切るのが限界なのに、バイト帰りに何となくお酒を買って帰ってしまう。それだけが、自分が”大人”であることを証明してくれるような気がするから。(終)

 

 夜一睡もできずに現在午前5時!社会不適合生活からしか得られない文章がある。何かあればマシュマロまで↓

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