ぜりーとゼラチン工場

限界大学生の思考掃き溜め

多ければ多いほど良いのだろうか

 お久しぶりです。ほぼ半年ぶりらしいですぜりーです。最近の私はといいますと、ひたすらインターネットに生気を吸い取られていました。誰か私からスマートフォンを奪ってくれ。昔と比べると、スナック感覚で摂取できる簡単な情報ばかり口に入れているせいで少し長かったり難解な文章だったりするとすんなり頭に入ってこなくなってきているし、明らかに集中力が落ちたし、終えるまで一度たりとも気が散らずに作業を完遂できるもの、もう数独しか無いんですけど……。めちゃくちゃ言語能力の衰えを感じていて悔しいのでキーボードを叩いています。このままだと、人間として、終わる。

 人間として生きるにあたって『居場所』ってとても大事だと思うんですけれども、みなさまは『居場所』は”多ければ多いほど良い”と思いますか?今回はそういう話がしたい。

 この半年私は何をしていたのかと言いますと、オタクとして新たな界隈に足を突っ込み新たなコミュニティで様々な交流をしておりました。こんなに健全なオタク活動したの、いつぶり?衝動のままに仲間を探して駆けずり回り、自分の思想を発信し続けるオタク・パッションが自分にまだ残っていたことに感動を覚えました。みなさまも、自分の思想は検索避けせずにありのままをインターネット上に残しておくと良いですよ。それがソウルメイトを見つけるきっかけになるから……(界隈の同思想オタクから「お前のツイートを見つけてなかったら自分はそのまま発信をやめてた」と言われた)。というわけで、新たなコミュニティで新たな居場所がまたひとつ増えたわけです。出会って1か月でオフ会やってそこからまた1か月経たないうちにお泊まりラブホ女子会と合同誌制作が閣議決定される界隈、スピード感がありすぎる。お世辞にも覇権とは言えないけどな!少数派は声がでかい。人生で一度は自分の書いた文章を物理本に印刷してみたいという気持ちはずっとあったので、こんなに急展開でそれが叶う日が来るとは思いませんでした。合同誌という名目じゃないと、自分一人では到底刷って頒布する勇気なんて出なかったので、つくづく私は恵まれているなあと。もはや人運だけで生きてるまである。やっぱりリハビリとしてブログ始めてからボリュームのある文章をするする書けるようにようになった気はしているので、このアイタタ自己満共感性羞恥ブログも無駄じゃなかったのかな。まあ当然もっと精進が必要だしどう考えても間に合わないんですけど……(絶望)

 そう、新たな場所で新たなことを始めるのは良いことなんですけども、この新しい界隈には「今までの自分がやってきたことを疎かにしない」と決めて足を踏み入れたので、どれだけ時間もお金も感情も持っていかれようと今までの歌い手のオタクだったりサークル活動する大学生だったりする自分に割くリソースは絶対に削らない。削りたくない。したがって、大学生活と歌い手のオタクとそのためのバイトだけでそれなりに充実できていた生活に+αでやりたいタスクが増えるというワケで。院試免除のためにある程度成績をキープしなきゃいけない自分と、サークルの引退ライブに命かけたい自分と、歌い手の現場が多すぎてクレカ支払いに追われる自分と、物理本として印刷する合同誌に怪文書を提出するわけにはいかない自分とで、正直心が破綻しそうになっている。そしてこれらの自分はそれぞれ”同じ身体を共有している違う名前の存在”として場所と用途によって使い分けられているわけで、この全ての側面を知る人間は私以外存在しないので、下手に誰かに相談することもできない、という状況。リア友に「歌い手のオタクとして現場全通しながら別ジャンルの同人誌書かなきゃいけなくて……」とか相談できるわけないだろ

 これは私が悪いのもあるんですけど、私は秘密主義というか自分の色々な面を他人に見せるのが苦手で、上記のように所属するコミュニティによってそれぞれアカウントは勿論名前も全く異なるものを使うので、気付けば私の身体はTwitter7アカウント5名義のキメラと化していました。大学やバイト先での本名でのすがたも含めれば6つも名前を持っているということ。この6つの自分について、コミュニティはほぼ被っておらず6通りの人間から6通りの呼び方をされて、もう自分が何者であるか分からなくなる。もちろん全部自分なのは間違いないんだけれども、”自分の全てを内包した自分”には名前が付いていないし一生出会えないんじゃないかと思うと、自分とは結局一体何たるか、6つの人格を使い分ける入れ物にしか過ぎないのではないか。と厨二めいた思考に陥る。思考回路として同じ脳や人格を共有している感覚で、出力する名前が異なるだけなので、多重人格とかそういうものではないと思う。本当に頭がおかしくなるのも時間の問題かもしれないけど……

 大は小を兼ねると言いますが、大きければ大きいほど、多ければ多いほど良いのでしょうか。このストレス社会において色々な『居場所』を作っておくことは大切だという意見も分かる。それでも私は、居場所を作りすぎるな、と言いたい。居場所を作りすぎると、それだけ用途・状況によって細分化されるということで、ありのままの全ての自分を曝け出せる場所がなくなる。そして最終的には自分自身が何たるかを見失う。A,B,Cそれぞれにとても詳しい人3人と仲良くなるより、A,B,C全ての話をゆっくり聞いてくれる人1人を見つけて欲しい。私は元々の性格上それを実現するのはかなり難しそうですけど、とりあえず3~4月にかけての引退ライブ・原稿提出に向けて心を破綻させないように上手く切り替えつつ共存しつつ頑張ろうと思います。間に合え!!!!全て!!!!(終)

読んでくださりありがとうございました◎なにかあればマシュマロまで↓

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