ぜりーとゼラチン工場

限界大学生の思考掃き溜め

炊飯器で虚無を保温する

 お久しぶりですぜりーです。前回の更新が一か月半以上前ってマジ!?どうしてここまで期間が空いてしまったのかというと、前回までの題材が自分にとって大きな出来事すぎてそれ以降の日常の中で「これについて書きたい!!!」ってものが出てこなかったのと単に社不のくせに似合わない労働を詰め込んで死にかけていたからです。やはり不労所得しか、勝たん……今回は何かの出来事についてではなく思考の掃き溜め再来。

 高校を卒業してから、地元の友達が自由の幅が広がって色々な活動を新しく始めている様子をSNSでよく見かける。それは大学での学習やサークルであったり、はたまた学生生活とは全く別の活動だったり様々だが、そういう話を耳にする度にあの子はこんなことがやりたかったんだとか、行動力があってすごいなあとか、嬉しい反面ちょっぴり取り残されたような気持ちになる。私が大学生の春からこのブログを始めたのも、そういう理由がある。

 自分では全く理解できないがフォロワーが言うには、私のTwitterは面白い、らしい。私は承認欲求の強い面倒なオタクなので、周りの人が面白いと言ってくれたこと、私の力でみんなに少しでもプラスの影響を与えられていることがとても嬉しかった。本当はフォロワーが面白がってからかっているだけという可能性もあるが、やらない善よりやる偽善というように貰った誉め言葉は有難く頂かせてもらう。私は自分の文章をそこそこ面白いと思っているが、それは自分と限りなく近い価値観の人間が書いた文章だからであって客観的には全然面白いと思っていないので、フォロワーが本気で面白いと思っているならなかなか物好きだと思う。チョロ・オタクなので感想ひとつだけでどこまでも頑張れる。いつもありがとうございます。

 しかし、140字では伝えきれないこと、まとまらないことが沢山ある。もっとみんなに聞いてほしいことが沢山ある。そして、大学生になってからひとつ違う自分になりたかった。新天地で新しい活動を始めたみんなを、自己表現の世界に飛び込んだみんなを見て、私も何かやらなくてはという気持ちになった。自己表現と文章の折衷案でブログというのは丁度良かった。紆余曲折あって文章を書くのをやめてからずっともう一度戻りたいという気持ちはあったし、前述のような承認欲求も加わってリハビリ代わりにこんな限界女の大暴走ブログが爆誕したというワケ。どうしてこうなった?

 最近、「自分の過去の捉え方」について考えることがままある。何度も言うように私の過去は手放しに良かったと思えるものではないのだけれど、大好きな推しが「色々辛いこともあったけどそれらは全て今の自分に繋がっていて、糧になっている。結果オーライかもね」という考え方を教えてくれたおかげで今の私は過去を受け入れ、変なコンプレックスを抱えることなくそこそこポジティブに生きていけている。私の大学がいわゆる”滑り止め大学”だからか、私の周りには上手くいかなかった過去にコンプレックスを持っている人間が多く、「あの時失敗しなければ」「どうして自分はこんな場所にいるのか」と過ぎたことをダラダラグズグズと引きずって自分で自分の首を絞めてばかりいて(みんなそれぞれ事情はあるだろうに勝手にこんなこと言ってごめんね)、そんなことをしていたら絶対に前には進めないし何より苦しいし捉え方さえ前述のように変えればそこそこ気楽に生きていけるだろうにどうしてここまで彼らは頑固で自己肯定感が低いんだろうな?推しの全肯定ハム太郎ソング爆音で鳴らしたろか?と呆れた顔で眺めている。あたしゃ同級生がそんなんで情けないよ。みんないい人なのに……

 そんな推しが先月「子供の頃の自分に聴かせたい曲」というコンセプトのアルバムを出してくれた。その中の曲はそれぞれ色々なコンポーザーさんに提供してもらっていて、曲調から歌詞のアプローチまで本当に様々な個性があるのだけれど、最終的にはどの曲もどんな形であれ子供の頃の自分を優しく肯定して背中を押していて、やっぱり推しの歌うアルバムだな…としみじみした。私にとってずっと推しは過去を肯定してくれる唯一の存在だったから、なんとかポジティブに生きられるようになってきた今またこのコンセプトアルバムを出してくれて本当に嬉しかった。過去だけでなく、過去を肯定的に捉えられるようになった現在の自分のこともひっくるめて肯定してくれている気がする。そろそろ推しに頼りきりじゃなくて、自分で自分の過去を肯定していきたいなと思う。あの時大切にできなかった自分のこと、わたしなら大切にしてあげられるんじゃないかな。してあげたいな。

 私はよくうっかり炊飯器で虚無を保温していることがある。一人暮らしの人は分かってくれると信じているが、これはどういうことかというと保温しておいたごはんを取り出してから保温ボタンを切るのを忘れて炊飯器のフタを閉め、文字通り「虚無を保温している」状態で気付かず放置することである。要するにただの電気代の無駄。

 さて、過去はどう頑張っても変えられないから、今から自分の過去をまるっきり取り替えて満足するものを手に入れることはできない。でも、無理やりにでも過去を肯定して勝手に満足して終えることなら今からでもできる。炊飯器を放置してもごはんは増えやしないが、虚無を保温し続けることはできる。電気代の無駄?少なくとも、心は温かくなるのではないだろうか。(終)

 

 読んでいただきありがとうございました。皆さんも炊飯器虚無保温には気を付けましょう◎メッセージは以下マシュマロまで↓

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