ぜりーとゼラチン工場

限界大学生の思考掃き溜め

星空、画面の向こう側、近所のキラキラ同級生

こんにちはこんばんはぜりーです。今日は大学が土曜授業で世界を呪い殺したくなりました。自称進ムーブやめてくれんか?

 

それはそうと、突然ですが皆様、進研ゼミの広告漫画を読んだことはありますか?

そうです、あの、部活と委員会を掛け持ちしていてとても忙しそうで勉強をする暇なんて無さそうなのに何故かいつもテストで高得点を取っている近所のキラキラ同級生に「チャレ友になろうよ!」って言われて主人公くんが進研ゼミを始め人生が軌道に乗っていくあのテンプレ漫画です。

さて、この「チャレ友」、本当に近所のキラキラ同級生でしょうか?

というのも、私も小学生の時に進研ゼミを受講していて”チャレ友”がいたのですが、その”チャレ友”は近所のキラキラ同級生ではなく”画面の向こうのインターネットクソガキ”・・・でした。

当時、進研ゼミの会員サイト(チャレンジウェブ)には「彗星が見たくて」という今は無き神ゲーがあった。ある日拾った彗星の写真に憧れて、その彗星を肉眼で見るために色々な材料を集めて売って宇宙船をレベルアップさせるというストーリーで、純粋主人公・姉御肌商人お姉さん・鼻眼鏡機械屋・ツンデレ体育会系男という小学6年生の性癖を完全に歪めに来ているケモキャラ達と、大きなお友達でもクリアに一か月かかるやりこみ要素満載の作業ゲーム。そこにはゲームの攻略法などを交換し合える掲示板が併設されており、まあ一応教育用サイトなのでチャレンジウェブ側で投稿に一旦手動フィルターがかかるのですが、そのフィルターギリギリを攻めながらみんな掲示板上で友達を作ったり二次創作を書いたりしていた(ウッ、頭が・・・!!)。学校から帰って宿題を終わらせて毎日欠かさずパソコンの前に座り、自分の投稿にコメントがついているか確認して、新しい投稿を考えて。あの日々は確かに青春だった。

とはいえやはり管理人が一旦全ての投稿をチェックして反映までに1~2日かかる子供用掲示板というのは非常に使いづらいわけで、徐々に住民が普通の外部掲示板に移っていった。外部の掲示板で見慣れたハンドルネームを見つけた時の感動は今でも鮮明に覚えている。確かとある学生掲示板に進研ゼミ板があって、ゲーム名で検索するとそこのスレが引っかかって・・・みたいな流れだったと思う。そこではゲームに関係のない内容でも自由に話せるし何より即レスが可能だしで、私はどんどんインターネットの世界にのめり込んでいった。この頃にはもういわゆる”いつメン”みたいなメンバーが固定され始めていた。2014年頃の話である。

当たり前といえば当たり前なのだが、進研ゼミは学年ごとにカリキュラムが分かれているのでもちろんウェブ上のゲームも一年で遊べなくなる日が来る。しかし、ゲームが閉鎖された後も、その外部の掲示板で”チャレ友”との交流を続けていた。その頃はまだ、”彗見た”が大好きだからまだコンテンツとお別れしたくないという気持ちだった。

中学生になると、掲示板から大体みんなメールやTwitterで繋がるようになった(実はその間にアメブロアメピグ時代もあったのだが黒歴史すぎて深く思い出したくないので割愛)。若気の至りと、元々会員制のチャレンジウェブで出会った人たちなので同級生で怪しいおじさんではないだろうという安心感もあり、個人で繋がるようになるとほぼほぼ本名や住んでいる地域も割り始め、何なら最終的にはLINEも交換したし年賀状も送った。ここまで来るともう単なるゲーム仲間ではなく”会ったことない友達”のようなものである。今でもその子たちとはLINEで話すし、どこの大学に通っているか知っている子もいるし、夏休みに会おうねって言っている子もいる。小学六年生から大学一年生までの約7年間、何だかんだでずっと交流を続けてきた、下手な幼馴染より濃い関係値の友人達である。そして、大学生になって自由度が増した今、7年越しにその”画面の向こうのチャレ友”と実際に会えるかもしれないという夢のような話が実現しようとしている。そんなことある?インターネットで知り合った人間と実際に会うというのは今の時代何も珍しいことではないが、進研ゼミがきっかけとはなかなか稀有な話だと思う。そのくらい狂った界隈である。

どうして突然こんな話を始めたのかというと、私のマシュマロにその”チャレ友”から「彗見たの話をしてほしい」という便りが届いていたからです。このブログを読んでくれているのはせいぜい高校の同級生くらいだろうと思っていたので、インターネットフレンズからこんなものが来ているのを見てびっくりしました。いつもありがとうな。

しかし、チャレンジウェブだろうとそれ以外だろうと、やはりインターネットで出会った人間に何でもかんでも教えるのは慎重になりましょうね皆様。私は近い未来に実際に会うであろうチャレ友がネカマのおっさんでないことを祈りながら来たるその日を楽しみにしようと思います。その時の話はまたブログに起こしたいな。(終)

 

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振り袖ブルーときらめきピンク(後編)

こんにちはこんばんはぜりーです。最近はストレスによる暴食がひどいです。自分はストレスがかかると食欲なくなるタイプだと勝手に思ってたし実際受験期はそうだったんですけど何なんでしょうね。太りにくい体質であることを今以上に感謝したことはない。

突然ですが、そんな限界大学生の心の支え、それは何か。

そう、女児アニメです。

最近諸事情あって女児アニメに堕ちかけている私ですが、先日マシュマロにおすすめの女児アニメソングが送られてきて「ついに・・・ここまできたわね・・・」と思いました。ありがとうございました。

寝ても覚めてもDREAMIN' GIRL」、めちゃめちゃ良かったです。というかこれめっちゃスルメ。初見時は結構女児色強いな~と思ったけどいつのまにかずっと聴いてる。しかもCV芹澤かいな。サビの解放感がえぐすぎる、多分コードとか音階とか解析したら面白いんだと思うけど知識がないので割愛。歌詞の中の”女の子はいつでもオシャレのメインキャストよ”、女児アニメ特有の全肯定・・・SUKI・・・になっちゃった、なんかこういう”女の子らしい""男の子らしい”の押しつけってジェンダーからしたらあんまりよくないって言われてるけどこの先こういういかにもな女児アニメ!にも文句言う輩が現れてジェンダーレスなアニメが製作されたりするのかと思うと本当に悲しくなる、流石に心配しすぎか?最近男の子のプリキュアが登場したとかしないとか聞いたことがあるけど。それはそれとして歌ってる三人のセンターの子がド好みすぎてビビりました、暖色系クソデカツインテの女・・・ウッ頭が・・・(歴代の好きな女がほぼ確でそう)そしてCV芹澤だし。(2回目)

でもやっぱり子供向けアニメのいいところってストレスフリー、精神的負荷ゼロで楽しめるところですよね。子供向けだから当たり前なんだけど、言葉選びも優しいしマイナスな発言もないしそれ作者の性癖だろみたいな余計なシリアスもないし。おかゆ気分で摂取できる上質な栄養という感じがする。社会の理不尽なんか気にせずに自分の夢に向かって一生懸命に頑張るキャラクター達の姿が眩しい・・・おれもミラーイン!してえよお・・・(アイカツプラネット!の話です)あと、ブスでもチビでもデブでも女の子はみんな可愛くなれるよ!って手放しに応援してくれるのがマジでありがたい、アイカツプラネットはバ美肉(最終手段)までしちゃってるし。いつもみんなかわいいねかわいいね・・・おばちゃんもメイクとお洋服頑張るからね・・・って画面の前で泣いてる。子供向けアニメって推し狂いというより何気なく動画付けてキャラの名前も大して覚えてないのに気付くと涙がドバドバ溢れてるみたいなハマり方するよね。自己肯定感皆無女にかわいいの自信をくれてありがとう女児アニメ。一生ついてく。

あと個人的には元々3DCGのディズニーのアニメとかMMDとか大好物なので女児アニのCG歌唱ダンスシーンはもうご褒美ですよね、かわいい女がかわいい服をひらひらさせてぬるぬる動いて踊る、たまらんすぎる。うむ。

前述の通り最近私はアイカツプラネット!をちょくちょく観てて、辛い時にめちゃめちゃ励まされているのでそちらも是非。ごくふつうの女の子たち()がバ美肉してアイドル活動をする話(語弊アリ)ですが、実写とアニメが混じった作品なので二次元のかわいい女と三次元のかわいい女が一度に両方摂取できます。お買い得ですね。OPとEDのMVがかわいすぎて絶賛無限リピなうです。うちにはテレビがないのでyoutubeとかニコニコの公式配信を待つしかないのですが、社不がすぎるあまりすぐアニメの一週間”見逃し配信”を”見逃す”のでやっぱり家にテレビ(アニメ録画用)欲しいなとなっています。置く場所ないけどね。(終)

 

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振り袖ブルーときらめきピンク(前編)

こんにちはこんばんはぜりーです。

前回乞食のようにマシュマロを募集したところ、今週は2つもお題を頂いてしまいました。したがって今回は2本立てでお送りします。読者の皆さんいつも本当にありがとうございます、あわよくばもっと読者が増えると嬉しいです是非紹介をよろしくお願いします(乞食セカンド)。

と、いうわけで今回は「成人式と女児アニメの話」~~!!ドンドンパフパフ!!

一つ目のマシュマロは「成人式の件が聞きたい。親が振袖を見たいって言うから参加はする予定だけど友達少ないから怖い、でも友達には会いたい」という内容でした(多少改変アリ)。この成人式問題って陰キャの代表的問題ですよねわかります。親に晴れ姿を見せてあげたい、しかし会場に友達はほとんどいない、でも会いたい人が全くいないわけではない、というジレンマね。

個人的な意見としては、一人でも会いたい友達がいるってだけで十分幸せなことだと思うので、会いたい人がいるなら是非行ってみたらいいんじゃないでしょうか?正直20歳になった中学時代の同級生なんてほとんど顔わからないだろうし友達が少なくてもそんなに行って後悔するもんじゃないと思う。知らんけど。ちなみに私は中学時代に吹奏楽部で成人式での演奏をしたことがありますが、あれはとてもじゃないが成人の集まりとは言えない雰囲気でしたね。治安の悪い中学校は成人しても治安が悪い。カエルの子はカエル。

そう言った直後ではなんですが、前にも同じような話題になったときに「成人式は一生に一度だけど、成人式に行かなかった日も一生に一度だよ」という友人の言葉が印象的でよく覚えています。当日成人式行けない陰キャ達で集まってどこかではっちゃけるのも、一人で「成人式?行かねえよぼっち乙www」ってイキリツイートするのもそれはそれで絶対楽しいよな。

私?私は前述の通り地元の治安は最悪だし中学校にろくな思い出もないし会いたい人もいないので、もう親にも「成人式行かない」と言ってあります(ちなみに家にしつこく振袖案内のチラシが入り続けている)。親は私の社交性の無さと頑固さを理解しているので成人式に行かないこと自体は了承してくれたけど、それはそれとして振袖の写真は撮りに行くからねと言われました。結構強めに。やっぱり親は振袖姿を見たいもんなのかね。

これは大学進学してから気付いたことですが、そもそも大学と実家が遠すぎて長期休みでも帰省できるか怪しいところなんですよね。物理的距離はもちろん、飛行機でかなりの交通費を持っていかれるので1か月実家でタダ飯頂戴しても元取れないし短期バイト入れるなら尚更時給高い東京に残った方がマシだしという状況。しかも大学暦からして正月休みはそこまで長くないという。あれ、これ帰りたくても帰れなくない?

余談ですが最近、大学の同級生の子が振袖を見つくろいに行ったというチクチクツイートをしていたり、下宿勢の子に住民票移してる?と聞いたら「成人式地元で参加できなくなっちゃうから移してない」と言われたりなどしてとても胸を痛めました。「チクチク言葉」という言い回し、最近流行りなのか知らないけど私はとてもお気に入りです。やっぱり子供向けに作られた言葉とか文章は底なしに優しくてよい。女児アニメとかね…(ダイナミック大雑把伏線)

さて、今回は2本立てと言いましたがここで眠気がマックスかつ一つ目のお話で結構文字数を食ってしまったのでひとまず前編としてここで終わろうと思います。非常に申し訳ない。この前編も来週しれっと編集してるかもしれません(6/2追記・編集しました)。それではおやすみなさい。(終)

 

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推しへの依存はやめないが、やめられるようにはなりたい

どうもこんにちはこんばんはおはようございますぜりーです。課題と慣れない家事に追われながらもなんとか生きています。今回は明確なテーマもないのでまじめにふまじめ、ダラダラゴロゴロ脳死プレイで行こうと思います。

先日吉祥寺(家から一番近いデカい街)に買い物に行ったのですが、疲れすぎて帰り道立ったまま寝るんちゃうかと思いました。中央線の三鷹終点を許すな。私は基本的に元気がない、若さがない、大丈夫?と言われるのですが私の生体エネルギーは一体どこに吸収されるようになってしまったのでしょうか。ご存知の方がいらっしゃいましたら教えてください。ちなみに吉祥寺の蔦屋はなんとレンタル専門で本を置いてなかった。そんなことあるかよ。都会の店舗は沢山ある分一つ一つの敷地が小さいから店があったとしてもお目当てのものが置いてあるとは限らない、という学び。地味に田舎のイオンより面倒かもしれない。本屋とあと色々ぐるぐるハシゴして帰宅後はボロボロでした。南無。

さあ、そんな私の少ない生体エネルギーの供給を支えてくれているのが私の大好きで大切な「推し」たちである。推しがいない世界でどう生きていけるのか皆目わからない。推しに出会う前の自分はいったいどうしてたんだ・・・と思い返してみたけど人間関係がうまくいかなくて死にたがってましたね、おいおい死ななくてよかったな。推しに出会ってからは死にたがっていないので推しには自殺予防効果があるということ。鬱の万能薬。もうすぐ医薬品として正式に認可される。一家に一台俺の推しを置け。

ってなわけで、私はじめ世の「推し」を持つ人間は生活を推しに依存しまくってるワケ。どうしてか?推しが幸せだったら自分も嬉しいから。大好きな人がお仕事を頑張っていたら自分も頑張ろうと思えるから。そして順調に活動をしている推しには、”希望”が見えるから。結局我々は未来に希望が見えないと生きていくのがしんどくなるわけだが、それなら一方で「推し」を持たない種の人間は何を希望として生きているのか?それは、”自分”とか、”限りなく自分に近い誰か(家族、仲間・・・)”だと思う。これはなんと惨めな話だ。自分の未来に希望が持てれば、はなから他人の希望を吸って推しとか言って依存して生きていかなくてもよいのだ。惨めな話だなオタクども。

私は今絶賛大学一年生で、落単の恐怖に怯えながら毎週毎週同じ時間にパソコンに向かい同じ講義を受け同じ課題をこなし・・・という単調な生活を繰り返している。将来自分がどんな大人になってどんな仕事についているかなんて全く想像ができないし、それ以前に大学を無事耐え抜いて卒業できているのかすらわからない。だから正直、未来の自分に大きな希望は持てていない。そういう点では、推しに依存しない人間になりたい、と思う。推しのことは大好きだしずっと応援したいから、断じて追いかけるのをやめたいってわけじゃない。自信があって、自分自身に希望と期待を持っていて、他人の希望を勝手にパクって自分のガソリンにしたりなんかしない、推しに依存しなくても明るく前向きに生きていける立派な人間になりたい。そうなれたら推しも喜んでくれるかな、なんて考えてしまった時点で私はまだまだだ。自分の希望は、自分のためにあるものだ。あわよくば、自分の希望を他人におすそ分けできるような人間になれたら万々歳だとも思うけれど。その時はnoteにでも移行して希望に満ちた人生キラキラブログ書きます。嘘です。何だかんだ言って未来に明確なビジョンがあって希望が持てている大学生なんてほとんどいないと思うから、まずは自分磨きを頑張って自信をつけるところから始めたい。なんだか大人になるまでにやるべきことがまとまってきた気がする。ブログを始めてよかったと思う瞬間。このブログもいつまで続くかわからないけど、継続は力なりってエライ人が言っていたので続くだけ続けようと思います。これからもヨロしゅ~(終)

 

(あとがき)

今回のブログ、なんだかネタ切れの匂いがしませんか?しますよね?するよな?(圧)こんな単調な生活をしているとネタにも限りがあるわけです。本当になんでもいいので、マシュマロにぜりーに話してほしいことを投げていただけると幸いです。色々な角度で物事を考えたり新しい知見を広げたりするのが好きなので、ぜりーが話しそうにないことでも全然大丈夫です。むしろそっちの方が自分の思考が偏らなくて良いと思います。是非是非。

 

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白黒つけよう、ストロンチウム

私はパンダが大好きで、私の日常には色々なところにパンダが溢れている。というわけで今日のテーマはマシュマロで頂いたお題「パンダが好きな理由」である。それではお話ししよう、宇宙一大好きな憧れの女の子への巨大感情を。

私がこんなにパンダを身につけるようになったのは、ある一人の女の子の影響である。それはフォロワーならお馴染みのあのバンドの紅一点ボーカルの方だが、検索避けにここでは固有名詞を出さないことにする。大声で推しの名前も叫べない小心者オタクのことを許してほしい、こんなキモ・ブログを推しまたは推しを知る人間の目についた時のことを考えると舌を嚙んで死にたくなるんだ自意識過剰とでもなんとでも言ってくれ。

そんな憧れの女の子について。好きな食べ物はオムライスとクリームソーダ、パンダが大好きで将来の夢はパンダになること。女の子としてこれを超える模範的な自己紹介があるだろうか?ソシャゲのキャラか?それがびっくり実在する女なんだな・・・

私はそんな彼女の声から作品、思考、価値観までの全てに魅了された。かわいい、の中に少しだけ見え隠れする闇やスパイシーなワードセンス。いかにもサブカルチックな生き方。女の子の代表のような趣味。彼女のような女の子になりたいと思って真似をし始めるのも無理な話ではないと思う。みんな小さい頃プリキュアの変身コスチューム着てコンパクトのおもちゃ買ってもらったでしょ。ちなみにパンダだけではなく、カラオケでいつもメロンソーダ(クリームソーダ)を飲んでいたりお店でよくオムライスを頼んでいたりするのもここから。今更だが重い女にも程がないか?

最初は、パンダを集めている彼女の真似をしてパンダを集めているのだ、と思っていた。前述のプリキュアのように。ところが最近、私の大学垢のアイコンはパンダのぬいぐるみの写真なのだが、どうやら大学の人に私は「パンダの人」として認識されているらしい。そこで気付いたのだ、パンダを身につけていれば自分は、彼女の夢である、憧れの人の憧れである、パンダに段々近づけているのではないかと。憧れの人のようになりたいのではなく、憧れの人の憧れのようになりたいのではないかと。パンダよ、白黒つけようじゃないか、私とお前のどちらが彼女に”相応しい”かを___

何をふざけた事言ってんだ?と思うかもしれないが、私は至って真面目である。彼女のような素敵な女性に近づくか、そんな彼女の憧れる完璧な”キュート”に近づくか。これは私の将来の方向性を決める大事な問題だ。憧れの人のようになりたいか、憧れの人の憧れのようになりたいか。こう考えるとよく一般化できる問題だと思う。それが動物になるとまあ・・・何とも言えないかもしれないが・・・

昔からそうだったのだが自分が創作において一番好きな工程はタイトル付けで、それはブログでも変わらない。今回は「白黒つけよう、ストロンチウム」とした。前半のダブルミーニングは言うまでもない。さて、もしこれを読んでいるあなたが私と同じ畑の人間ならば、白黒つけようと言っときながらストロンチウムは赤色花火だろうがと思うかもしれない。是非「ピーターパンの左手にストロンチウム」で検索をしてほしい。彼女の書く、私の大好きな詞の一つである。(終)

 

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エネルギー収支とダージリン~おまいらの推し、好きから見るか?信用から見るか?~

好きな音楽と好きなアーティストって必ずしも一致しないよな、という話をしたい。否、したかった。今週末のブログは「おまいらの推し、好きから見るか?信用から見るか?」というタイトルで、”推し”と呼ばれる様々な活動者に対して活動内容の”好み”を優先するか”信用”を優先するか、またそのどちらを選ぶかによって時には好きな作品と好きな活動者は必ずしも一致しないため需要と供給に合わせた推し活が必要になってくる、と。そういう話がしたかった。例えばめちゃくちゃ良い曲を書くバンドマンほど自分の売り込み方はド下手くそだったりするし(平気で平日に辺鄙な場所でライブやったりする)、逆にしょうもない活動をしているyoutuberの方がお得意の対人・ネットスキルでどんどん人脈を広げていって活動内容の割になかなかの知名度を得ているケースもある。私が思い描いていたシナリオというか、書こうとしていた記事の内容は上の通りだった。そんな私の”推し”のオンラインライブを観るまでは。

2021年5月5日18時30分開演、東京ドームから全世界配信ライブをするのは世界初らしい。私はそんな推しのことを、完全な「信用型」の推しだと思っていた(今も思っているが)。グッズの金額とか会場のキャパとか常にファンのことを一番に考えてくれるし、必ず有言実行どころかそれ以上のことをしてくれるし、作品のクオリティだって絶対落とさない。好きとか嫌いとかガチ恋とか尊いとかそういう感情より前に、「この人を応援していれば絶対楽しいしもう悲しい思いしないだろうな」という絶対的信頼があった(私には大大大好きなバンドが解散してラストライブにも行けなかったという苦い思い出がある)。そんな信用できる推しだからこそ、私はもう一つの”好き”という感情を蔑ろにしていた、のかもしれない。彼はミュージシャンだが、私は音楽としての作品だけで言えば彼以上に自分好みの音楽を作るミュージシャンなんて他にたくさん知っているし、勿論推しの音楽が好きじゃないわけじゃないけど、というかめちゃくちゃ好きだけど、彼のミュージシャン的側面というより活動者としての心意気に惹かれていたのだと思っていた___

そんな難しい話してられるかバカ~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!好きか信用か????どっちもだよ最高だったよ!!!!!!音楽は他にもっと性癖突いてくるミュージシャンいるし・・・とか捻くれたこと言ってごめんなあ~~~!!!

一言でいうとめちゃくちゃかっこよかった。昔はツイキャスの歌枠ですら嫌がっていたあの推しが、どうせ加工だのなんだの言われていたあの推しが、大舞台に立派に立って声枯らして原曲キーで一生懸命に歌ってる姿が、ここまで成長してやり遂げてくれるという「信用」と共に、活動に全力な姿勢とか自己表現の潔さがめちゃめちゃめちゃめちゃ「好き」だ~~~~~~~~~!!!!!となり、信用と好きの境界がわからなくなって事前に考えていた題材でブログを書くのが不可能になりました。他活動者のもっと良い作品を知っていたとしても活動が信用できる活動者って強いよなっていう話をしようとしたけど無理。だって推しのライブという作品が最高だったから。南無。オタクの意思は儚い。考えてたブログタイトルは気に入っていたからサブとして入れたけど。

好きな音楽とアーティストは必ずしも一致しないというのは大抵アイドル系のアーティストによく言われる話だと思う。アイドルは曲によって楽曲提供者が違うなんてこともよくあるし、オタクはその曲自体が好きというよりはそのアイドルの活動が好きだからCDを買う曲を聴くライブに行くという形で応援している、というぐあいだろう。ということは、私はずっと推しのことをアイドル視していたということか???自分で自分を許せないんだが??????いや推しのことをアイドルだと思う瞬間はなかったはずだけど、推しの作品をすっとばして「やっぱ信用なんだよな!」とか言っていた自分がマジで許せない。ライブ観てわかったよ。私は推しのことが、活動者としてもミュージシャンとしても大好きだ。好きも信用もどっちも提供してくれるすげえ男だ!

周りのファンの女の子達がキャッキャしてるのを横目に後方腕組み彼氏面オタクしてきた拗らせ女だから、推しの作品も活動も全てが好きだ・・・と再認識してしまったこの先ただでさえ限界な自分がどうなってしまうのか全く想像がつかない。でも一つだけ明らかなのは、今まで以上に推し活を楽しめそうだってこと!推しに出会えて人生ベリーハッピー!!

外部からエネルギーを与えられた物質は、高まった自身のエネルギーをどこかに放出して安定になろうと試みる。こんなクソデカ感情を抱えてどこにも吐き出さないまま今日を終えるには少し惜しい気がしたこと、例のライブのアーカイブ期限が切れる前に、ダージリンが冷める前にこの感動を共有したかったこと、これらをいつも通りの週末投稿ではなく突然平日夜中にブログを更新してしまった謝罪として受け取ってくれると幸いである。(終)

 

読んでくれた方ありがとうございました!5月6日23時59分まで例のライブアーカイブは残っておりますので、未履修の方は必ず履修をして下さい。必修です。観ないと単位出しません。

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Instagramは「深淵」か

夜中眠れなくなると、インスタで繋がっている数少ない中学時代の友人のフォロワー欄から中学の同級生のアカウントを漁ることがある。そんなことをしても何も良いことないしむしろ自分の青春コンプをこじらせるだけだってことは重々分かっているのだけれど、どういうわけか定期的にやってしまう。

ご存知の方も多いだろうが私は中学時代クラスに友達がほとんどおらず、部活と勉強、本当にその二つしかやってこなかった。というかそれ以外することがなかった。朝は遅刻ギリギリで登校し、昼休みはずっと部室にこもり、帰りの会が終わったら真っ先に教室を出るという授業中しか教室にいない生活を三年間送っていた。昼休みに教室で勉強しようものなら白い目で見られる不真面目な学校でガリ勉の居場所などなく、テスト期間で部室が開いていないときはトイレに籠ってぼんやり過ごしたこともあった。私があまりにクラスメイトと交流しないものだから「あの人がテスト学年一位らしいよ」という噂に尾ひれがついて知らない所で神童呼ばわりされていたらしいという武勇伝(?)は今となっては笑い話だが、教室でちょっと勉強していただけで異端児扱いされた世界のこと、私は結構、というか相当、根に持っている。

そんな環境で学歴コンプをこじらせた最低女なので、同級生のインスタで真っ先に確認するのはプロフィールの学校名である。アルファベットの略称で書いてあるときはわざわざググってアハハFランじゃんと安心したりする。本当にお察し~な子は「福岡 大学生」とか「看護学生」とかだけだったりするけど。幸か不幸か、私より偏差値の高い大学に進学した子はいなさそうだった(かくいう私も大した大学には行ってないところがただ単に中学のレベルが低すぎたという話でミソ)。それはいい。それはただ私のプライドが傷つかずに済んだというだけの話であって、それは今する問題じゃないのだ。

気付いてしまった。彼ら彼女らは学歴なんてなくても、勉強なんてしなくても、娯楽を我慢してぶっ倒れそうになりながら毎日勉強し続けた私たちより何倍も何十倍も楽しそうな生活を送っている。その証拠として残っているInstagramの投稿の数々が何よりも、「努力は報われる」という言葉と私の自尊心を傷つけた。教室で白い目で見られようと、異端児扱いされようと、勉強を頑張って良い大学に行って成人式で見返してやろうなんて意気込んでいた高校受験真っ只中の私に現実はそう甘くないと伝えたい。でも、だからと言って私は同級生を見返すためだけに勉強していたわけではない。ただ単に勉強が好きだったから。好きだったからこそ、好きなことをしていただけで白い目で見られたあの世界が憎かったのだ。彼らにとっての体育が私にとっての数学で、私にとっての体育が彼らにとっての数学だっただけ、好きな教科と嫌いな教科は誰にでも当然それぞれ一つずつくらいあって、それが皆と少し違っただけなのに、決して嫌いな教科が多いというわけではないのに、どうしてここまで苦しい思いをしなきゃいけないのか。勉強をし続ければ、いつか見返せる日が来ると思っていた。もちろん中学の同級生に勉強では負けていないと思うし進学先とか共通テストの点数の話をすればすごいと褒めてくれると思う、思うけどそうじゃないのだ。私の見たかった世界はそうじゃない。別に勉強ができたからって何かめちゃくちゃ面白い遊び方を見つけられるわけじゃないし、日常生活で友達とかパートナーに囲まれるわけじゃないし、自信のある満面の笑みでプリクラに写れるわけじゃなかった。もちろん勉強してきて良かったなと思う瞬間は沢山あるから、勉強を頑張ったこと自体に後悔はない。でも、勉強ができることと同級生のインスタから溢れ出ている「勝ち組オーラ」は違うんだなとここに来て気付いた。一人でパソコンとにらめっこしながらほとんど喋ったこともない同級生の進学先の偏差値を勝手に見下している私より、周りの友達や家族を大切にして心からの笑顔で写真にうつっている同級生の方が何倍も人間ができていて、毎日幸せそうで、勉強はできなくても生きるのがうまい、と思う。そもそも努力といえば勉強、という考えがおそらくはなから間違っている。私が勉強を頑張っている間に彼らは人間関係とか部活とかバイトとか勉強以外のことで沢山頑張ったんだと思うし、そうであって欲しい。そうでないと、インスタのあの笑顔の秘訣が理解できなくて本格的に拗らせ青春ゾンビ女が死んでしまう。まず私は「幸せになるためには苦労しなければいけない」という思考を早く取り去るべきだ。悔しいかな私には愛嬌もコミュ力もなくあの子たちのように世渡り上手ではないので今まで気付かなかったが、「かわいい」ってすごい、と思う。大学生になってそれなりに身だしなみに気を遣うようになったが、メイクも髪のセットも上手くできるようになるまでどれだけのお金と勉強と練習が必要か。その労力を加味すれば、「かわいい」だけで無条件に愛される世界にも説明がつく。結局苦労してるじゃないかと言う人がいるかもしれないが、彼女らは別にそれを苦しんではいない、と思う。かわいいものを目にすれば心が躍るし、自分がかわいくなって素敵な服が似合うようになったら嬉しい、ただそれだけの原動力で楽しくやっている。かわいい子はずるいよね、なんて言って勉強に逃げている場合ではない。苦しまなくていいから、自分が楽しみながらできる自分磨きを見つけるのが多分一番うまいやり方ってやつだ。

ここまでインスタキラキラ陽キャのことを散々持ち上げたが、私は彼ら彼女らのキラキラ生活自体に憧れているわけではない。私は騒がしい人が苦手だしアウトドアよりインドア派だ。そもそも他人のことを勝手にガリ勉だとか陰キャだとか言って自分達の価値観とそぐわない人を除外するようになるくらいなら一生陰キャでいる方がマシだ。じゃあどうして。私は、他人のことを否定するような人間になりたくないのだ。どれだけ自分の理解の範疇を超えていようと、納得できないことであっても、他人がそれが正しいと思ってやっていることを否定したくない。否定した瞬間、私は中学時代の同級生と同じになってしまう。だから、嫌な思い出があっても、自分の価値観とそぐわなくても、彼ら彼女らのインスタを見てこれはこれでアリなんだろうなあと考えるようにしている、というかそうしなくちゃいけない。時折それは自分の首を絞める。でも多分それでいい。自分がそうしたくてやっているから。

「深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いているのだ」と言うが、私が同級生のインスタを覗いているとき、同級生はけっしてアイコンも名前も適当な私の投稿0件ROM専捨て鍵垢なんて見ちゃいない。だから、Instagramは深淵ではない。いつか、私もあの子たちのように自信満々の可愛い笑顔で写真にうつれたらいいな、とも思うし、同じようなコンプレックスを抱えた拗らせオタクフレンズとアニメアイコンのdiscordでいつものようにゲーム大会をする生活も案外悪くない。深淵はきっと、私の心の中にある。(終)

 

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