ぜりーとゼラチン工場

限界大学生の思考掃き溜め

推しへの依存はやめないが、やめられるようにはなりたい

どうもこんにちはこんばんはおはようございますぜりーです。課題と慣れない家事に追われながらもなんとか生きています。今回は明確なテーマもないのでまじめにふまじめ、ダラダラゴロゴロ脳死プレイで行こうと思います。

先日吉祥寺(家から一番近いデカい街)に買い物に行ったのですが、疲れすぎて帰り道立ったまま寝るんちゃうかと思いました。中央線の三鷹終点を許すな。私は基本的に元気がない、若さがない、大丈夫?と言われるのですが私の生体エネルギーは一体どこに吸収されるようになってしまったのでしょうか。ご存知の方がいらっしゃいましたら教えてください。ちなみに吉祥寺の蔦屋はなんとレンタル専門で本を置いてなかった。そんなことあるかよ。都会の店舗は沢山ある分一つ一つの敷地が小さいから店があったとしてもお目当てのものが置いてあるとは限らない、という学び。地味に田舎のイオンより面倒かもしれない。本屋とあと色々ぐるぐるハシゴして帰宅後はボロボロでした。南無。

さあ、そんな私の少ない生体エネルギーの供給を支えてくれているのが私の大好きで大切な「推し」たちである。推しがいない世界でどう生きていけるのか皆目わからない。推しに出会う前の自分はいったいどうしてたんだ・・・と思い返してみたけど人間関係がうまくいかなくて死にたがってましたね、おいおい死ななくてよかったな。推しに出会ってからは死にたがっていないので推しには自殺予防効果があるということ。鬱の万能薬。もうすぐ医薬品として正式に認可される。一家に一台俺の推しを置け。

ってなわけで、私はじめ世の「推し」を持つ人間は生活を推しに依存しまくってるワケ。どうしてか?推しが幸せだったら自分も嬉しいから。大好きな人がお仕事を頑張っていたら自分も頑張ろうと思えるから。そして順調に活動をしている推しには、”希望”が見えるから。結局我々は未来に希望が見えないと生きていくのがしんどくなるわけだが、それなら一方で「推し」を持たない種の人間は何を希望として生きているのか?それは、”自分”とか、”限りなく自分に近い誰か(家族、仲間・・・)”だと思う。これはなんと惨めな話だ。自分の未来に希望が持てれば、はなから他人の希望を吸って推しとか言って依存して生きていかなくてもよいのだ。惨めな話だなオタクども。

私は今絶賛大学一年生で、落単の恐怖に怯えながら毎週毎週同じ時間にパソコンに向かい同じ講義を受け同じ課題をこなし・・・という単調な生活を繰り返している。将来自分がどんな大人になってどんな仕事についているかなんて全く想像ができないし、それ以前に大学を無事耐え抜いて卒業できているのかすらわからない。だから正直、未来の自分に大きな希望は持てていない。そういう点では、推しに依存しない人間になりたい、と思う。推しのことは大好きだしずっと応援したいから、断じて追いかけるのをやめたいってわけじゃない。自信があって、自分自身に希望と期待を持っていて、他人の希望を勝手にパクって自分のガソリンにしたりなんかしない、推しに依存しなくても明るく前向きに生きていける立派な人間になりたい。そうなれたら推しも喜んでくれるかな、なんて考えてしまった時点で私はまだまだだ。自分の希望は、自分のためにあるものだ。あわよくば、自分の希望を他人におすそ分けできるような人間になれたら万々歳だとも思うけれど。その時はnoteにでも移行して希望に満ちた人生キラキラブログ書きます。嘘です。何だかんだ言って未来に明確なビジョンがあって希望が持てている大学生なんてほとんどいないと思うから、まずは自分磨きを頑張って自信をつけるところから始めたい。なんだか大人になるまでにやるべきことがまとまってきた気がする。ブログを始めてよかったと思う瞬間。このブログもいつまで続くかわからないけど、継続は力なりってエライ人が言っていたので続くだけ続けようと思います。これからもヨロしゅ~(終)

 

(あとがき)

今回のブログ、なんだかネタ切れの匂いがしませんか?しますよね?するよな?(圧)こんな単調な生活をしているとネタにも限りがあるわけです。本当になんでもいいので、マシュマロにぜりーに話してほしいことを投げていただけると幸いです。色々な角度で物事を考えたり新しい知見を広げたりするのが好きなので、ぜりーが話しそうにないことでも全然大丈夫です。むしろそっちの方が自分の思考が偏らなくて良いと思います。是非是非。

 

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